(1)宝塔(ほうとう)・・・南無妙法蓮華経(お題目)
妙法蓮華経とは一般に「法華経」と呼ばれる経典の正式名称。数ある経典の中でも最上位の経典とされ、お釈迦さまが、この世(娑婆世界)に出現なされたご本意が説かれている。
南無とはインドの言葉「ナーム」を漢字の音に当てはめたもの。意味は帰依(きえ)、即ち、「心から信じる。すがる」というもの。経典の表題を唱えるので「唱題(しょうだい)」という。
南無妙法蓮華経とは「法華経の教えを心から信じ、経典に説かれる教えに則って生きていきます」という自らの誓いの言葉ともいえる。
(2)釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)
約2500年前、インド北部に実在したシャカ族の王子、ゴータマ・シッダールタ。
一般に「おしゃかさま」と呼ばれ、仏教の創始者。
お誕生日は4月8日(はなまつり)、ご命日は2月15日(涅槃会=ねはんえ)。
釈迦族の王子が悟りを得て仏陀(ブッダ)となったことから釈迦牟尼仏陀と尊称される。
(3)多宝(たほう)如来
法華経が真実の教えであることを証明する仏。
無量の過去に、東方宝浄国という世界にて悟りを開いた多宝如来は「もし将来、法華経を説く者があれば、私は宝塔とともに出現し、その正しさを証明しよう」という誓願を立てていた。
(4)日蓮(にちれん)聖人
貞応元年(1222)2月16日-弘安5年(1282)10月13日
鎌倉時代の修行僧。日蓮宗(明治期までは法華宗)の宗祖。没後に朝廷から「日蓮大菩薩」(後光厳天皇、1358年)、「立正大師(りっしょうだいし)」(大正天皇、1922年)の称号を賜る。
法華経を最高の拠り所として「大難四ヶ度、小難数知れず」という法難(ほうなん)に遭いながらも鎌倉を中心に布教活動を展開。
立正安国論(りっしょうあんこくろん)、開目抄(かいもくしょう)、観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)を始めとする著述の他、多くの信徒へ送った書簡(しょかん=手紙)が現存し、厳格ながらも人間味あふれる心優しい人柄が推し量られる。
墓所は遺言により、山梨県身延山(みのぶさん)久遠寺(くおんじ)に建てられている。身延山は日蓮宗の総本山として全国から信徒が集う霊跡となっている。
(5)-(8)四菩薩(しぼさつ)あるいは四士(しし)と呼ばれる4人の菩薩。
釈尊滅後、末法(まっぽう)の時代と呼ばれる、仏の教えが失われて世の中が乱れた時に出現し、あらためて法華経の教えを弘めるリーダーとも云える菩薩。
また4人の菩薩がそれぞれに常楽我浄(じょう・らく・が・じょう)と云われる、4つの徳を備えているとされる。
(5)上行(じょうぎょう)菩薩
四菩薩の中でも最上位の菩薩。日蓮聖人は上行菩薩の生まれ変わりだとされる。
他にしばられることのない「我徳」を表す。
(6)無辺行(むへんぎょう)菩薩
常に不変である「常徳」を表す。
(7)浄行(じょうぎょう)菩薩
煩悩の垢(あか)がなく清浄(しょうじょう)である「浄徳」を表す。
(8)安立行(あんりゅうぎょう)菩薩
苦しみがなく安らかである「楽徳」を表す。
(9)-(12)四天王(してんのう)
東西南北の四方を司り、仏法を守る。
(9)持国天(じこくてん)
東方に位置し、水火の災いを除き、国を治める法力を授ける。青色で表す。国家安泰、家内安全。
(10)広目天(こうもくてん)
西方に位置し、広く世界を見て敵の願いを退ける。正しい智慧を得て無量の寿命を得る。無病息災。白色で表す。
(11)増長天(ぞうちょうてん)
南方に位置し、病を消除して福禄を増長させる。商売繁盛、事業繁栄、家門繁栄。赤色で表す。
(12)毘沙門天(びしゃもんてん)
多聞天(たもんてん)ともいう。北方に位置し、夜叉の害を除き、多くのことを聞き、自らを利すと同時に他をも利す。財宝授与。黒色で表す。
(13)文殊師利(もんじゅしり)菩薩(文殊菩薩とも略する)
智慧(ちえ)を司るとされ、その威力を表すため獅子の上の乗る形で表現されることが多い。法華経の第12章の提婆達多品(だいばだったほん)と第14章の安楽行品(あんらくぎょうほん)では、文殊菩薩の発言が多く登場する。
(14)普賢(ふげん)菩薩
普賢とは「普(あまね)く賢(かしこ)い」ということ。六牙(ろくげ)の白象(びゃくぞう)の上に乗る。六本の牙は六波羅蜜(ろくはらみつ=布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を象徴している。理(り=物事の筋道や道理)・定(じょう=乱れない心)・行(ぎょう=行為や実践)を司る。
(15)不動明王(ふどう・みょうおう)
忿怒(ふんぬ=いかり)の形相で諸々のけがれを焼き、自ら動揺せず(不動)、一切の魔を降伏(ごうぶく)せしめ仏道修行者を守護する。
(16)愛染明王(あいぜん・みょうおう)
愛欲の迷いを浄化して煩悩即菩提(ぼんのう・そく・ぼだい)の悟りを得させる力があると信じられている。
(17)日朝(にっちょう)上人
応永29年(1422)−明応9年(1500)6月25日。
伊豆の出身で行学に励む。身延山11世。宗門の統一、学僧教育の確立、身延山の整備拡張、500巻に及ぶ著述、そして、生涯を掛けて関東一円に於ける布教に励む。そうした苦行と過労から両眼失明の厄に遭う。しかしそれを自らの不徳として懺悔して益々精進を重ねたところ眼病は見事に平癒。このことから後世、眼病で苦しむ人々から「目の神様」、「学業の神様」として多くの人々より親しまれている。
(18)龍王(りゅうおう=龍神の王)
人を護り、国を護り、世を護り、法(おしえ)を護ることをその職とする。自然界では雲と水を司る。古来より仏法を守護するとされ、特別な信仰を集めている。法華経では主に第1章の序品(じょほん)と第12章に登場する。
妙典寺では平成30年夏より旧地名にちなみ、「蓮池(はすいけ)大龍王」として命名し奉安している。